ではつづきを。
まずは時代背景として、蝦夷で行われていたヒイ様の占いや、アシタカに超人的力を与えたタタリ神の呪い。こうした非科学的な能力が生活の中になじんでいる世界感なので、神々の存在に脅威を感じていたことは観てとれます。
ジコ坊が不老不死を信じ、シシ神の首を狙っているのもこの世界において、割と自然なことのように思えます。
しかし一方では、深山を切り開いて出来たタタラ場で鉄工に着手しており、もののけやなどの外的に抗うべく鉄砲文化を発展させています。こうして人間の生存のため、脅威である自然や神々とする存在を超越しようとする節が見えてきます。
神々となるもののけにとっては人間の発展が、自分たちの生存環境を脅かす存在であり、人間にとっては自分たちの発展に神々の存在が厄介なものである。
人間からすれば、発展の為にもののけの衰退はテーゼ(正論)であり、
もののけからすれば、環境を守るために人間の文明の衰退がテーゼ(正論)である。
しかし、どちらからしても相手方のテーゼはアンチテーゼ(反正論)にとれるでしょう。
これが争いの根源になっているのです。
この作品のテーマである『生きろ。』このリビドー(生への欲求)は両者にとって争いをもたらす根源そのもの!
そんな中で、アシタカが作中何度も口にするセリフが『共に生きる』という言葉。
これは中立的アシタカらしいジンテーゼ(統合論)
時にはサンやモロに、時にはエボシにと、両側にも持ち掛けて理解を図ろうとしています。
最後にはアシタカとサンが共存の足掛けとなり、共に生きる道(ジンテーゼ)をきづくこととなりますね。
リビドーがあればデストルドー(死への欲求)も欠かせません。この作品におけるこの相対的表現にふれていきます。
中村テツヤ
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